中国特許補償制度の初「5年延長」事例
1.背景と制度の概要
2021年6月1日施行の新「中華人民共和国専利法」(以下「新専利法」)において、医薬品特許補償制度(いわゆる特許期間延長制度)が導入された(第42条第3項)。この制度は新薬の上市承認に伴う審査遅延を補うことを目的としており、補償期間は最長5年、かつ上市後の有効特許期間は最大14年と定められている。本制度は、新薬開発から上市までに要する期間が平均10年以上と現長期化している現状を踏まえ、市場における独占期間の短縮を是正する狙いがある。
2.「トップ伸び」の新薬テリリタセプト(Telitacicept)
延長決定の概要
2025年6月、中国国家知識産権局(CNIPA)はRemeGenの主力薬である注射用「テリリタセプト(Telitacicept/商品名:泰愛)」のコア特許(ZL200710111162.2)に対し、1827日(約5年)の特許期間補償を認め、既存の有効期限(2027年6月15日)を2032年6月15日まで延長する決定を下した。これは新専利法施行後、医薬品業界としては第1号の最大補償期間の獲得、いわゆる「トップ伸び」が認められた事例である。

テリリタセプトとは
テリリタセプトは世界初のBLyS(B‑cell activating factor)/APRIL(a proliferation-inducing ligand)二重標的TACI‑Fc融合蛋白である。BLySおよびAPRILの双方と結合することでB細胞の異常活性を抑制するという複合メカニズムを持ち、多発性自己免疫疾患治療で画期的効果を示している。
初適応症の承認:
2021年3月に中重度全身性エリテマトーデス(SLE)を対象として中国国家薬品監督管理局(NMPA)により承認取得。
その後の適応症の承認:
2024年7月に関節リウマチ(RA)、2025年5月に重症筋無力症(gMG)を対象とする承認取得。
重症筋無力の臨床成績:
2025年、American Academy of Neurology(AAN学会)で発表され、24週の評価でMGADL改善≥3点が98.1%、QMG改善≥5点は87%と極めて高い治療効果を示している。
以上より、テリリタセプトは国内外で極めて高い学術的評価と薬学的価値を確立しつつある。
3.中国における医薬品特許補償制度の意義
制度的意義
医薬品は、基礎研究から臨床試験、規制当局の承認に至るまで非常に長い開発期間を要する。新薬の開発には通常10年以上かかることもあり、その間も特許期間は経過していく。その結果、医薬品が実際に市場に出る時点で、すでに特許期間の大半が消費されており、本来想定されていた市場独占期間が大きく短縮されてしまうことがある。このような状況では、企業は莫大な研究開発費用を投じたにもかかわらず、特許による独占的な収益機会を十分に確保できず、新薬開発のインセンティブが損なわれる恐れがある。医薬品特許補償制度は、こうした状況に対応するために設けられた仕組みであり、開発や審査に要した時間を補償する形で、一定期間、特許期間を延長することが認められている。これにより、たとえ特許の残存期間が短くなっていたとしても、実際の市場独占期間をある程度回復し、後発医薬品の早期参入を一定期間防ぐことができる。結果として、新薬開発に伴うリスクとコストを考慮しても、収益性の見通しが立てやすくなり、安定的な投資回収が可能になる。これは、製薬企業による新薬研究開発の継続的な動機付けにもつながるものである。
他国との比較
補償制度は米国(Hatch‑Waxman法)、日本、韓国、EU、カナダ等でも既に導入/運用中である。中でも中国および米国は「補償期間最大5年、上市後最大14年」という類似した上限設定である。EUでは補償期間上限5年、上市後15年まで延長可能である。
4.テリリタセプトの補償「1827日」の意義
1827日は、新専利法下で認められる補償期間の実質上限(約5年)に相当する。これは、以下の特筆すべき意義がある。
上市承認期間の最大補償の実例
当該医薬品は、2021年3月に中国国家薬品監督管理局(NMPA)による承認を取得したが、開発着手から上市までに長い期間を要したことにより、実質的な特許期間が大幅に目減りする状況に直面した。これを受け、現行の医薬品特許補償制度の枠内で認められる最大限の補償措置が適用されることに至った。これは当該製品の革新性、開発難易度の高さ、および市場導入に至るまでのプロセスが如何に複雑かつ時間を要するものであったかを示し、当該制度における補償上限が実際に必要とされ得ることを示す典型的な事例である。
業界先例の確立
これまで中国国内において、医薬品特許補償制度の適用事例は限定的であり、特に最大限度の補償が認められたケースは存在しなかった。先行事例としては、正大天晴およびAkesobioが共同開発した免疫チェックポイント阻害剤「ペンプロリズマブ(Penpulimab)」に対し、補償期間140日が付与された例があるが、これはあくまで制度の一部適用にとどまっていた。これに対し、今回の事例は制度上認められる「最大補償枠」を初めて適用した画期的なケースであり、中国の医薬品特許補償制度運用における実務的かつ制度的な先例を確立したものといえる。この先例が示す制度の具体的運用は、他の革新的医薬品を開発・導入しようとする企業にとっても、制度活用の可能性とその道筋を明確化するものであり、その意義は極めて大きい。
知財保護強化による業績改善への期待
テリリタセプトは、2024年時点での年間売上高が約9.77億元に達し(1元≒20円換算で約195億円)、2023年比で売上成長率94.9%という急成長を遂げている。今回の特許補償による市場独占期間の実質的延長は、収益の安定化をさらに後押しする材料となっており、今後5年間で累計売上が100億元(約2,000億円)規模に到達する可能性も現実味を帯びてきている。知的財産保護の確実性が企業の競争力に直結し、企業の収益に如何に貢献し得るかを体現した実例として、業界内外から注目されている。
5.中国の医薬品特許補償制度のメリットと懸念点
メリット:
企業収益に直結する市場独占期間の延長
特許補償制度の導入により、後発品が市場に参入するタイミングを遅らせることに直結し、価格競争が始まる前に十分な利益を確保できる戦略的メリットがある。とりわけ大型新薬では、1年単位の特許保護期間延長が数百億円規模の追加収益に直結しうる。
研究開発投資回収の担保
新薬開発には10年を超える期間と巨額の費用がかかる中、特許補償は投資回収の見通しを制度的に下支えする仕組みである。また、ベンチャーや中小企業にとっても、補償制度の存在が事業の価値に正の影響を与える可能性がある。
国際交渉での交渉力強化
中国・日本・欧州・米国などでの特許補償制度の適用実績は、グローバルライセンス交渉や共同開発契約において重要な要素となる。補償によって確保された独占販売期間は、売上見込みに確実性を与え、ロイヤルティ設定時の交渉材料としても機能する。
懸念点:
国内薬価上昇につながる可能性
補償による特許保護期間の延長は、後発品の上市タイミングを後ろ倒しにし、医療費削減効果の発現を遅らせる懸念がある。結果として、医療保険財政に与える影響や、患者の薬剤費負担増といった社会的な副作用も無視できない。
イノベーション制度の公平性
特許補償の対象となるのは、あくまで規定された特定の特許(例:物質特許、製法特許、用途特許等)に限られており、すべての医薬品開発案件に適用されるわけではない。この点で、制度上の恩恵を受けられる企業とそうでない企業に格差が生まれる可能性があり、イノベーション保護の観点で公平性を如何に担保するかが課題となる。
患者負担とのバランス
補償制度が制度的に定着し拡大していく中で、延長された独占期間中の薬価水準が医療財政や患者の自己負担に及ぼす影響とのバランスを如何に取るかが、今後の政策論点となる。特許補償による企業の利益確保と、社会保障制度との整合的な設計の両立が求められる。
6.海外知財担当者への示唆
中国において最大補償が認められた今回の事例は、海外企業にとってもいくつかの重要な示唆を提供する。ただし、中国の特許期間補償制度は「中国が世界初の承認国であること」を前提条件とするため、海外企業がそのまま制度を享受することは原則困難である。この制度設計は、海外企業に対して以下の2つの視点から再考を促している。
中国市場の「早期承認候補市場」としての再定義
従来、日本企業や多国籍製薬企業にとって、中国での承認取得は、米国・欧州・日本など主要市場に次ぐ「後続ステップ」とされることが一般的だった。しかしながら、今後は中国を承認申請の“初期対象国”とする戦略的意義が増大し、補償制度の適用を受けることで、中国市場での市場独占期間の最大化が可能となる。海外企業にとって、グローバル開発計画における中国の位置づけの見直しが求められる。
戦略として、たとえば、日本発の新薬候補で、中国を同時期または先行して申請・承認取得することを念頭に、並行開発や中国国内治験ネットワークの確立などが今後の選択肢となり得る。
「現地制度対応の知財戦略」の構築
中国の医薬品特許補償制度(補償対象特許の要件や申請期限等)は日本や米国とは異なるため、中国で補償対象になりうる「基本特許」の特定と、現地での確実な権利の取得、CNIPAとNMPA間の連携・照会スキームに沿った手続管理など、現地制度に最適化された戦略が必要とされる。
7.まとめ
中国における医薬品特許補償制度は、新専利法の制度設計の一環として整備され、日本や米国をはじめとする世界水準に準拠する革新的仕組みである。RemeGenのテリリタセプトの1827日延長は、当該制度が絵に描いた餅ではなく実効性のある事例として知財分野に示した“成功モデル”であり、今後の国内外の医薬企業にとっても重要なベンチマークとなる。
中国特許補償制度は、その設計上、海外企業にとってすぐに適用できる制度ではないものの、「承認順序の最適化」や「現地知財戦略の再構築」という面での戦略的示唆は非常に大きい。今後の開発・承認・知財活動において、中国を単なる「販売市場」ではなく、「開発・申請の戦略拠点」としても位置づけることが、競争優位につながる可能性がある。
参考資料
- RemeGen製品紹介・テリリタセプト
(公式)
https://www.remegen.com/?v=listing&cid=92
(NMPAの開示情報)
https://www.nmpa.gov.cn/datasearch/search-result.html
②AAN学会発表:重症筋無力治療効果(98.1%/87%達成)



